輝き続ける人々

ベテラン設計士が築く地域の科学拠点:世代を超えて響き合う「ものづくり」の喜び

Tags: ものづくり, 地域貢献, セカンドキャリア, 技術伝承, 学び直し

導入:定年後に見つけた新たな役割

定年退職は、多くの人にとって人生の大きな節目となります。長年培ってきた専門知識や経験が、社会との接点を失い、やがて忘れ去られてしまうのではないかという漠然とした不安を抱く方も少なくありません。しかし、その豊かな知恵を次世代に伝え、地域社会に新たな活力を吹き込む方もいらっしゃいます。

今回ご紹介する田中健一氏(75歳)も、そのような輝かしいセカンドキャリアを体現するお一人です。大手電機メーカーで機械設計士として約40年間、最前線で活躍された田中氏は、定年後に地域で「ものづくり教室」を主宰し、子どもたちの好奇心を刺激し続けています。子どもたちの瞳を輝かせ、自身の知恵と経験を未来へと繋ぐ田中氏の活動は、まさに経験豊富な大人が社会と深く関わり続けることの喜びと意義を私たちに示しています。

新たな挑戦の始まり:長年の経験を活かす場所

田中氏は、定年退職後、長年の設計業務から離れ、一時的に喪失感を覚えたと言います。しかし、その心の中には「この知識と経験をこのまま終わらせて良いのか」という自問自答が常にありました。自身の技術的バックグラウンドを活かし、地域社会に貢献できる道を探し始めた矢先、地域の公民館が子ども向けのSTEM(科学・技術・工学・数学)教育プログラムを検討していることを知りました。

「これだ、と思いました。私の機械設計の経験が、子どもたちの科学への興味を引き出すきっかけになるのではないかと直感したのです」と田中氏は当時を振り返ります。こうして、自身の専門性を活かせる新たな居場所を見つけ、講師として名乗りを上げたのが、田中氏の第二の人生における大きな一歩となりました。

具体的な活動と工夫:未来を育む「ものづくり教室」

現在、田中氏は週に2回、地域の公民館で「未来をつくるものづくり教室」を主宰しています。対象は小学生から中学生で、簡単なモーターを使ったロボット製作、センサーを用いた電子工作、そしてビジュアルプログラミング言語を用いた自動制御の基礎などを教えています。

田中氏の教室で特に大切にされているのは、「失敗から学ぶ楽しさ」を伝えることです。「設計とは、常に予期せぬ問題に直面し、それを解決するプロセスです。子どもたちにも、試行錯誤を通じて、なぜ動かないのか、どうすれば改善できるのかを自ら考える力を養ってほしいのです」と田中氏は語ります。材料は身近なものを活用し、複雑な科学の概念も、図や実演を交えながら平易な言葉で説明することに工夫を凝らしています。また、安全面への配慮も徹底されており、常に複数の補助ボランティアの目が行き届くように体制を整えています。

活動から得られる喜びと成長:世代を超えた学び

教室に通う子どもたちの成長を間近で見守ることは、田中氏にとって何よりの喜びであると言います。「最初は戸惑っていた子が、自分の手で作品を動かせた時の、あの最高の笑顔。それを見るたびに、私自身も新たな活力を得ています」と田中氏は顔をほころばせます。

また、若い世代と触れ合うことで、自身の固定観念が打ち破られることも少なくないそうです。「子どもたちの自由な発想には、ハッとさせられることがよくあります。既存の枠に囚われない柔軟な思考は、私の長年の設計人生にも通じるものがあり、今でも大きな刺激を受けています」と田中氏は語ります。指導を通して、自身の長年の専門知識を改めて整理し、再構築する機会にもなっており、まさに世代を超えた相互作用が生まれています。

困難とその克服:時代に合わせたアプローチ

しかし、活動は常に順風満帆だったわけではありません。当初は、現代の子どもたちの興味関心とのギャップに悩んだこともあったと言います。「私が育った時代とは全く異なる情報環境にいる子どもたちに、いかにものづくりの本質的な面白さを伝えるか、試行錯誤の連続でした」と田中氏は打ち明けます。

そこで田中氏は、流行りのゲームやアニメのキャラクターをモチーフにした作品作りを導入したり、3Dプリンターなどの最新技術も積極的に取り入れたりしました。また、専門用語を避け、身近な事例に例えるなど、説明の仕方を常に工夫しています。例えば、電気回路の基本的な概念を「水が流れる管」に例えることで、抵抗や電圧といった抽象的な概念を直感的に理解できるよう努めています。地域住民や保護者との連携も、教室運営の鍵となっています。安全管理や広報活動において、多くの協力者を得ることで、教室は持続可能な活動へと発展していきました。

経験の活かし方と社会貢献:技術者の誇り

田中氏の長年の機械設計士としてのキャリアは、現在の「ものづくり教室」の活動に深く根差しています。製品の企画、設計、試作、テスト、そして量産に至る一連のプロセスは、ものづくり教室のカリキュラム作成や運営そのものに活かされています。「問題を分解し、解決策を導き出す思考プロセス。これは設計業務で培った私の最も大きな財産です。それを子どもたちに、具体的なものづくりを通じて伝えたいと考えています」と田中氏は言います。

また、品質管理や安全設計に関する知識は、教材の選定や教室での作業環境整備に不可欠です。子どもたちが安全に、そして安心して創造活動に打ち込める環境は、田中氏の長年の経験の賜物と言えるでしょう。この活動を通じて、田中氏は地域の子どもたちが未来を担う人材として育つための土台作りに貢献し、地域社会にかけがえのない価値を提供しています。

健康維持と学び続ける姿勢:生涯現役の秘訣

田中氏にとって、ものづくり教室の活動自体が健康維持の秘訣であると言います。教材開発や準備で体を動かし、子どもたちとの対話で脳を活性化させています。精神的な充実感もまた、心身の健康に良い影響を与えていることは想像に難くありません。

さらに田中氏は、常に新しい技術や教育方法について学び続けています。「時代は常に変化しています。私が教える内容も、それに合わせて進化させなければなりません。子どもたちに負けないよう、私も日々学び続けています」と田中氏は語ります。最近では、IoT技術やAIの基礎についても独学で学び、教室への導入を検討しているという探究心には感銘を受けます。

結論:未来へのメッセージ

田中氏は、今後も「未来をつくるものづくり教室」を継続し、さらに多くの地域の子どもたちに科学技術の楽しさを伝えたいと考えています。また、いずれは後進の指導者を育成し、活動を広げていくことも視野に入れているそうです。

「定年後の人生は、これまでの経験を社会に還元する絶好の機会です。大切なのは、自分の持つ知恵をどのように活かすか、そして何よりも、新しいことへの好奇心を持ち続けることではないでしょうか」と田中氏は穏やかに語りかけます。田中氏の姿は、経験豊かな大人が社会と関わり続けることの喜びと、生涯にわたる学びの重要性を私たちに教えてくれます。年齢を重ねてもなお、新たな役割を見つけ、社会に貢献し続ける田中氏の生き様は、多くの人々に勇気と希望を与えることでしょう。